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ミロク的情報 ノアの方舟
ノアの方舟とは、、『旧約聖書』の『創世記』(6章-9章)にでてくる、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事です。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指します。
『創世記』における記述
『旧約聖書』、『創世記』によりますと、ヤハウェ・エロヒム(「主なる神」と日本語では訳されている)は地上に増え始めた人々が悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神に従う無垢な人」であったノア(当時600歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じました。ノアとその家族8人は一所懸命働いた。その間、ノアは伝道して、大洪水が来ることを前もって人々に知らせたが、耳を傾ける者はいなませんでした。
箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていました。ノアは箱舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを箱舟に乗せました。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくしました。水は150日の間、地上で勢いを失いませんでした。その後、箱舟はアララト山の上にとまりました。
40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきました。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきました。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきました。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってきませんでした。
ノアは水がひいたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出ました。そこで祭壇を築いて焼き尽くすいけにえを神にささげました。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全生物を全滅させる大洪水は決して起こさないことを契約しました。その契約のしるしとして、空に虹をかけました。
ノアの方舟がたどり着いたところは、今のアララト山(現在のトルコ共和国東端の標高5.165mの山)の山頂、あるいは山腹だと説明されることが多いです。アララト山にノアの方舟の痕跡を見たと"証言"する者たちが、昔から今に至るまで多いことがその最大の要因と考えられています。
ノアの洪水は、『聖書』研究者など多くの見解では(『聖書』にある年代をそのまま計算すると)、西暦前2370年(紀元前3000年ころとも)に起こったとされています。 |
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残骸発見
現在までに、アララト山に漂着したとされる「方舟発見」(と、主張される痕跡)の報告が何例かなされています。
・古くは、紀元前3世紀に、バビロニアの歴史家ベロッソスが書き残していた。
・13世紀には、マルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で言及していた。
・中世にはアララト山自体、神聖視されていたが、1840年の火山噴火により、付近一帯が壊滅状態となった(それ以降の噴火はない)。
・1883年の火山性地震により、ノアの方舟の残骸らしき、古い木材建造物が一部露出する。トルコ政府関係者が調査するも、内部が崩落する危険性があり、途中で断念。その際に、欧米諸国にニュースが報じられる。
・詳しい年代は定かとなっていないが(1880年 - 1910年頃であろうと推測される)アララト山周辺を勢力圏としていた帝政ロシアが大規模な捜索隊を編成しノアの箱舟の残骸を捜索しかなりの成果を収めたものの、ロシア革命の混乱が原因で公表される前にその資料が遺失してしまったという。
・1920年以降、様々なレベルで調査が、その都度行われている。標高はおよそ、5,000メートル付近といわれている(その後、地震や氷河の融解によって、渓谷を滑り落ち、下に移動していったとする説もあった。またこの近辺は、冬期間は完全に氷河に閉ざされてしまう)。
・1950年代の複数の調査によると、氷河に閉ざされていた影の長さは120 - 130mあったと報告された。
また、その数年後に調査したグループが、残骸から切り取ったとされる、ほぼ炭化しかけた、化石といってもよいような木材を、数箇所の大学や研究機関で、放射性炭素14法などを用いて年代測定したところ、およそ、カイロ博物館では紀元前3000年 - 紀元前4000年、エジプト農務省では紀元前5000年、マドリード大学などいくつかの大学では紀元前2000年〜紀元前3000年といった結果が出た。一方で、カリフォルニア大学など、アメリカのいくつかの大学では、およそ1200年前〜1400年前という結果が出たという。
その材質はオーク材であった。『聖書』の「ゴフェルの木」は、一般に「イトスギ」と訳されているが、実は「ホワイトオーク」であったとする科学的な見解もある。ただし、この近辺1,000km四方に、ホワイトオークは古来から存在しないため、証言どおりであるならば、明らかに、遠い過去の時点で、大量にその地帯に持ち込まれた、あるいは、運び込まれた材質であるといえる。
・1959年には、トルコ空軍による報告が残されている。
・1960年代に入ると、冷戦激化に伴い、旧ソビエト連邦と国境を接するこの地区には入ることが不可能となった。しかし、駐トルコのアメリカ空軍によって、この船影らしき長方形の黒ずんだ物体が、何度も確認されたという。これらは、アララト山北東斜面に集中しているといわれている。
・それらの情報を総合すると、箱舟伝説を信じる調査者たちの中では、現在は、北緯39°26’4”、東経44°15’3”、海抜1870m付近のものが有力とされる。
・ノアの方舟かどうかは不明ながら、現在、それらとは別のものと臆される船型地形の現地写真のみならず、人工衛星写真も撮られていて、こちらは、文字通り船型をしている。全体のサイズは、聖書の記述とほぼ合致するといわれている。掘削調査は行われていないが、非破壊の地中レーダー観測も行われ、竜骨など木製内部構造も調査されている。また、石材製の碇と思われる巨大なパーツや、同じく、石製のリベットらしきパーツも、その地形周辺から出土している。
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